志文駅から別れる万字線は石炭輸送のために1914年開業した。それまで、石炭はケーブルを通して、夕張まで運ばれてましたが、輸送量に限界があり鉄道輸送に切り替えられました。
万字軽便鉄道の開業は沿線の開発を促進し、美流渡炭鉱や朝日炭鉱などが生まれました。
現在は沿線は公園として整備され終点は万字炭山森林公園として整備されてます。
その万字線に沿って追ってみることにしました。
旧北海道炭礦鉄道の岩見沢工場材修場
現在は岩見沢レールセンターの工場と事務所として道内各地のJR路線で使用されるレールの加工を一手に行ってます。継ぎ目のないロングレールの製造も手掛けており、青函トンネルのレールもここで製造されました。
JR北海道の建物で最古の工場ですがその後術は最新の技術です。
建物の壁の上部には旧北炭のマークが見られます。
旧上志文駅
室蘭本線志文駅から分かれた鉄路は萩の山スキー場のふもとの上志文駅と続きます。現在はスキー場の倉庫となっており、他の建物はスキー場に整地され撤去されてます。
萩の山スキー場はもとは駅の目の前にあり、臨時列車も出るほどの盛況でした。
道路側は民家の敷地となっており、できるだけ敷地に入らないようにしたため、全体は取れず看板のみ。200mの看板がかつてのスキー場の位置を示してます。
旧朝日駅
旧朝日駅は万字線鉄道公園として整備され遊具なども設置されてます。
B20型蒸気機関車が移設保存され、駅舎、線路、車止め、駅名票、踏切警報器が保存されてます。
朝日駅は朝日炭鉱の積み出し駅でもあり、少し山側に行くとその遺構が見られます。山側にも古い道が何本かあり、ずり山もありますが、山歩きの準備をしてませんので探索はここまでです。
朝日駅周辺を探索
朝日駅の山側にはまだ炭鉱の遺産が残ります。電気軌道跡に沿って探索してみました。
万字線鉄道資料館
美流渡地区の少し離れたとこにあり、分かりずらいところにあります。鍵が締まっており連絡先が記されておりましたが、先客がおりましたので、入らせていただきました。
旧美流渡駅
駅の跡は交通センターとなっており、ばす美流渡駅の周辺には多くの炭鉱があり、東幌内炭鉱への軽便起動鉄道や美流渡炭鉱への専用鉄道もありました。美流渡方面へ車を走らせましたが、炭鉱跡地は工業団地となり「モリタン」の食品工場が稼働してます。
交通センターの2階にある資料室です。予約制ですが、再訪したときにまた、運よく先客がおりましたので、係の方に開けていただきました。
英橋(2代目)
万字交通センターを過ぎ、英橋から川を望むと2代目英橋が見えます。車だと見えず素通りしてしまいます。当時としては、電灯が遠くからでも目立ちしゃれたデザインでした。
下へ行く階段がありますので降りてみます。上から見るのと違い藪になってます。
さらに下へ向かう階段があり、川べりまで行けます。
当時は炭住から多くのの炭鉱マンや石炭を運ぶ馬車が通りました。
旧万字駅
万字炭鉱の経営者、朝吹家の家紋「卍」から由来し、現在は駅舎は郵便局に利用されてます。
駅舎の裏から旧ホーム跡へ降りることができます。
旧万字炭山駅
個人に売却され、しばらく駅舎がありましたが、コンクリートのホーム跡のみが残ります。
万字炭山森林公園
かつての炭鉱跡は森林公園として保存されてますが、ずり山まで登る遊歩道が整備されてますが、大きく地形が変わってしまってます。
駐車場の入り口には、大きな選炭場がありますが、半分埋まってます。
中を覗いてみますが半分埋まってしまい、向こう側には行けません。
一度駐車場を出て、林道を上るとさらに駐車場があります。
道の途中にある小さな建物。
この階段は、上り下りすべて合わせると2468段もあり、ずり山の階段としては日本一です。頂上部には展望の森の看板がありますが、何もなく、ベンチの一つでも欲しいです。
簡単なパンフレットのコピーいただきましたが、整備された散策路なので置いてきてしまい、結構、迷いました。立て看板があるとわかりやすいのですが。
下の駐車場へ向かう道の途中にある、レンガの建物。何かの制御室。ポンポロム川沿いに運炭軌道が引かれてましたが、それ以上の装備をしてませんので、探訪は終えます。
まとめ
旧万字線は石炭を運ぶために引かれたもので、炭鉱まで多くの軌道が分岐してます。
朝日駅には朝日炭鉱。美流渡駅は美流渡炭鉱、東幌内炭鉱があり、万字炭鉱のほかにも二見炭鉱、相生沢炭鉱があります。今回は下見を兼ねて旧万字線を追ってみました。
これから装備を充実させ、沿線の炭鉱遺構を探索していきたいと思います。