寿都に鉱山があった。ただそれだけの情報で、今回の旅の目的地となりました。
地図上では映画館にとして使われていた鉱山会館のみが表示されており、まずはそこへ。
鉱山の歴史
1893年 日清戦争の前年大和政治氏が銀の試掘権を得、その2年後に今谷三郎氏が銀の採掘権を得るが、成果は乏しい。
1908年 武田恭作氏が寿都鉱山の鉱業権を得て、3年後に軌道に乗せる。
1914年 高田商会に譲渡し、名前を「広尾鉱山」と改称し、亜鉛と鉛鉱床を探屈。
1934年 三菱鉱業が広尾鉱山の鉱業権取得し、近代化を進め増産する。
1950年 戦後復興のためフル操業
1962年 鉱量減少のため閉山し、採掘権は千歳鉱山に譲渡
1972年 再操業されず、採掘権の放棄で寿都鉱山は閉鎖されます。
簡単に並べましたが、「気ままに鉱山・炭鉱めぐり」のHPに詳しく述べられてます。
鉱山跡探索
映画館より山側へ車を走らせ、鉱山なので山中ではないかと山へ通じる道を何本か上がってみますが、林道などもなく住宅街へ引き返しました。
すぐそこで、畑仕事をしていた男性に鉱山のことを聞くと、なんと元鉱山マン、かつて働いていた場所を離れられずに、近くに住んでいらっしゃるそうです。
かつての立て坑も事務所なども残ってないそうですが、近くの建物はほとんど鉱山に関係するものだそうです。
この民家の奥に火薬庫があるそうなので入らせていただくことにしました。
この真ん中の建物の鉱山に関係あるそうです。
火薬庫
扉を開けるには許可が必要です。
火薬庫のやや上にあるかつて山神様が祀られていた場所と近くに咲いている樹齢百数十年以上の桜。
立て坑跡
立て坑の櫓があった場所は地元の企業の倉庫に使われてます。閉山の際に土砂で埋めたそうです。
手前の小さな小屋で、着替えていたそうです。近くに風呂もあったそうです。
このあたりに点在する長屋は、かつての従業員の住居だったそうです。今でも改修して使われてます。
ずり山
ずり山と思しきものがいくつかあるそうですが、わかりやすいものはこれのみ。
鉱山はこの下から寿都神社や港まで坑道があり、まさに町の近くの鉱山のため、海も赤く変色し、何度か閉山要求の反対運動があったそうです。
このあたりの土地は鉱山のため農地には適さないそうです。畑はほとんど見られません。
地図
寿都鉱山の旧精錬所跡
黒松内の大金鉱山の選鉱場を買収し選鉱した、旧精錬所跡があるそうですが今回は歩きの準備をしてないので新たに計画を立てて訪れようと思います。
寿都町、島牧町、黒松町の魅力をたっぷり教えてくれるHPがあります。
『寿都五十話』で有名な山本 竜也氏、残念ながらこの本は品切れだそうです。