古代から人々の営みを体感できる「三笠野外博物館」

   

三笠市立博物館の奥に広がる森林鉄道跡を利用した、散策路。一億年前の地層と三笠を支えた炭鉱の一つ幾春別炭鉱。大地の遺産を感じることができます。

三笠市立博物館

散策路の出発点、三笠市立博物館はかつての幾春別炭鉱の選炭場や多くの炭鉱住宅が立ち並んでいた場所に作られております。ここは北海道初の鉄道、幌内鉄道を通して多くの石炭の積み出しの駅でもあります。

アンモナイトと化石

当初の目的である、炭鉱の歴史を調べるために訪れましたが、アンモナイトを中心に約1000点にも及ぶ化石が展示されております。

 

中でも目を光るのが巨大な恐竜の化石です。

 

炭鉱資料

三笠の炭鉱の歴史を知ることができますが、ここにあるのはほんの一部、三笠市内には生きた遺構が数多くあります。

野外博物館

いよいよ、博物館エリアの探訪です。

幾春別川を渡る橋へ向かう途中にある、構内人車。座席が傾斜しているため車高が低く狭い構内に入ることができます。

橋を渡ると、野外博物館の案内板があります。

A-01森林鉄道跡

野外博物館はかつての森林鉄道の後を利用して作られてます。そしてこの周辺には見事に地層、石炭、炭鉱と三笠の歴史を真に体験することができます。

すぐ左に森林鉄道の橋台跡が見られます。

幾春別の森林鉄道は、桂沢(現在の桂沢湖)の奥地で切り出された木材を運び出すために、昭和13(1938)年から昭和31年(1956)年まで運行していました。桂沢付近は、古くから良質なエゾマツやトドマツが多く生えることで知られ、江戸時代(1700年代)から木材が切り出されていました。(出典 三笠ジオパークサイトより)

A-02 幾春別層

5千年前に形成された地層です。砂岩層、石炭層、泥岩層からなってます。

(出典 三笠ジオパークサイトより)

A-03 旧幾春別炭鉱錦立抗櫓

ちょっと、山側へ寄り道します。

 

現存する道内最古の立坑櫓だそうです。説明は縮小するとなぜか、読み取れなくなるので、やや大きめの画像。見ずらいので説明を 三笠ジオパークサイトより引用します。

大正9(1920)年12月に完成したとされ、現存する立坑櫓では道内で最も古いものです。この立坑は、櫓の高さが約10m、地下約215mの深さがあります。櫓の鉄骨には「SEITETSUSHO YAWATA」と記されており、九州にある八幡製鉄所で製造されたものが使用されています。

巻揚室の内部も見学することができます。

A-05 旧錦抗坑口

川の方へ降りると閉鎖された坑口が見受けられます。

当時の立坑と坑口、巻き上げ機の仕組みがよくわかる図です。

A-05 石炭

石炭がむき出しになってます。石炭層は算出される層によって無煙炭、瀝青炭、亜瀝青炭、褐炭に分れ、発熱量が違っており、用途が決まります。

A-06 垂直な地層

大地の力を垣間見ることができます。水兵に堆積した地層が、地殻変動などの地層を押す圧力によってさらに圧迫され、縦になってしまってこのように形成されました。

A-07 狸堀り跡

狸堀という石炭層に沿って進む採炭方法でタヌキの巣穴に似た不規則なトンネルが作られます。

支柱もなく、トロッコも入らないので、抗夫が箱を背負ったり、木の棒に括り付けて運び出すという、非常な危険な工法です。

良質な石炭が存在することが明らかになり、本格的な採炭事業へと乗り出すきっかけとなりました。

A-08 ひとまたぎ覆道~ひとまたぎ5千万年

ここからは一気に古代へとタイムスリップします。

草が生い茂っていてなんもわかりません。

このように、三笠層と幾春別層が縦になっております。これも大地の圧力の力でしょうか。

A-09 A-10 三笠層と断層

  

約1億年前の白亜紀の地層です。三笠で多く見つかるアンモナイトや恐竜の化石が眠っている場所でもあります。

 

三笠ジオパークサイトにわかりやすい図がありましたので引用いたします。

大地は少しずつですが絶えず動いています。そして地層に力が加わって割れ、その割れた面に沿ってずれ動いた結果生じた、地層と地層の食い違いを断層といいます。断層が動く現象を断層運動と呼び、これが地震の主な原因であると考えられています。

覆道内部には、将来に「古代人」となる「現代人」の壁画があります。将来、「現代人」になる「未来人」はこの時代に「現代人」がアンモナイトや恐竜がいたことを示すために残したと「未来人」は思うのでしょうか。今の、「現代人」は古代の壁画を見てそう思っていますが、それは真実か、古代にさかのぼって、昔の「現代人」に聞いてみないとわかりませんね。(なんのこっちゃ !(^^)!(笑))

A-11 A-12 神泉覆道とイノセラムス

  

神泉覆道はかつて手堀で掘られたトンネルです。暗くてわかりずらいので、三笠ジオパークサイトから写真を引用いたします。

遠くに明かりがぽつんと見える、何かが出そうなトンネルの片隅にイノセラムスの貝の化石があります。

 

イノセラムスは約2億年前から約6600万年前まで生息した二枚貝です。

A-13 鏡肌

長い年月の風化により、その光沢が失われています。

A-14 神泉閣

 

解説と写真を引用いたします。

神泉閣は、明治43(1910)年頃につくられた旅館です。当時、人が歩ける道は対岸にあったため、神泉閣を訪れるには、幾春別川を渡る必要がありました。川には吊り橋がかけられ、川中にある大きな岩に橋の支柱が立てられていました。現在でも、この岩を見ることができます。

大正10(1921)年には、「層雲峡」の命名者としても知られる文人・大町桂月(1869-1925)もこの地を訪れ、旅の疲れをいやしたとされています。神泉閣は、昭和10(1935)年から始まった森林鉄道の着工とともに廃業となりました。

A-15 桂沢神威古潭

  

森林鉄道を利用した野外博物館の終点は、アイヌのコタンです。景観が旭川の神威古潭を思い浮かばせる事からこの名がつけられました。

終わりに

野外博物館は1億年前の古代から縄文時代を経て、大正、昭和まで体感できる散策路です。人為的に作られたわけではなく、偶然にも時代がが混在する、地層、アイヌコタン、石炭、炭鉱を余すことなく見どころが多い貴重な博物館です。全長1.2kmと気軽に散策できますので是非訪れて体感してください。

今日のお食事

 

野外博物館だけでなく、幌内炭鉱、奔別炭鉱と一気に探索しましたので、ボリューム満点の高島食堂でお昼を頂きました。

前菜のジャンボザンギです。そういうものかと手つかみでむしゃむしゃといただきました。とても熱くて、カリッとしてほくほくしてます。

メインの中華ラム定食です。これも手つかみ、、、、まさか。ザンギ来た時、箸とスプーンを片付けられてました。それも気づかない自分もどうかと。。。。疲れてるな。

 

そしてデザート。。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク