荘内藩ハママシケ陣屋跡

蝦夷地の北方の防衛目的で幕府から領地を分与された荘内藩(庄内藩)が建築したもので、守備範囲は寿都の歌棄(うたすつ)付近までと広大な範囲でした。200人余りの藩士が暮らし、領内の開拓もし、水田耕作も行ってます。

建築にあたって、陸揚げのために浜益川から陣屋まで「千両掘」(運河?)が掘られ、現在もその一部が残っております。

戊辰戦争で藩士が酒田に引き上げたため、わずかに10年余りの短期間です。

陣屋跡へ

海辺の国道から住宅街を抜け、外れに陣屋跡の案内表示があります。

曲がるとすぐに八幡神社の石柱があります。

川下八幡神社

陣屋内にあった神社をこの地に移したものです。真っ白な鳥居と狛犬さんたちが印象的です。

この神社の右の道を行くと陣屋跡へと続きます。

ハママシケ陣屋跡地

なだらかな広陵に陣屋跡はあります。

建物は既にありませんが、かつて建物の場所には案内看板が立てられてます。

当時の小さな橋。この小川は、「千両掘」へと続いてます。

森の奥は至る所で倒木があり道は寸断され、手付かずのままです。そして、クマの糞もあちこちに見られますので、これ以上は進めません。クマ対策もしてませんので、引き揚げます。

上の方に行けば海が見渡せるのではないかと思いましたが、残念です。

千両掘

かつての千両堀、水路として活用されてます。小さな船が通れる大きさなので当時はもっと幅があったのでしょう。

地図

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