八百五十という山
山頂標識はないが主夕張という(三等三角点 「八百五十」 大夕張)があるあまり知られてない山。あまり登られてない山ですが、YAMAPで紹介され、複数の人が注目し登ってましたので行ってみることにしました。八百五十山という山はかつて山小屋があり、山スキーなどで親しまれ、小学校や中学校の授業や行事で利用されていたそうです。
山のふもとの鹿島は炭鉱で栄えたころは2万人を超える人々が住んでました、炭鉱の閉鎖そして、シューパロダムの建設で街はダムの底に沈み、住んでいる人は居りません。かつての賑わいはこちらの「ふるさと大夕張」に記されてます。もしよかったら訪問してみてください。
宿泊学習の様子
思い出の写真
今回使用したアイテム
尻ボーです。スノーシューでは下りも苦労する雪山。低山でしか活躍できない「スキーシュー」はあきらめ、これを試してみました。結論から言いますと、深雪ではほとんど役に立ちません。トレースがある人気の山なら楽しいでしょう。
かつての思いを込めて雪山へ
旧国道との合流点にある鉄塔。4台ほど止めるスペースがあります。元の鹿島小学校の裏から裏辺りから登れるようですが、道路沿いは2m以上の積雪。治山もされ。元の道路もわからなくなってますので、ひたすら斜面を上がっていくと、作業道に出ます。
後は、道なりに進めばいいのですが、あまり長くはありませんでした。
すぐに、広い斜面にでます。
作業道は続いてますが、その先は、急な斜面になってますので、尾根に取りつきます。
あとは、キツネさんのトレースを追うだけです。
すぐ横は、スキー場のゲレンデを思わせる斜面ですが、比較的安全な樹木帯を歩きます。
770mコルに来ましたが、雪庇が重くなり落ちてきており次のコルを巻いて行くことができないので、最短距離で向かいます。急登の先の上部の雪渓も巨大化しており、ゆっくりと写真を撮っている余裕がないので、急いでトラバースします。言葉だけになりますが、頂上直下の稜線にたどり着くのにせり出した雪庇をつかみながら渡るという荒業で登りました。
今年は温暖が激しく、3日前に降った大雪が固まった雪の上に乗った形なので表層雪崩の危険もあります。新雪をラッセルするとやわらかい雪の下に固い雪を踏む感じがします。好天気なのはいいですが、ふもと付近はプラスという予報なので、できるだけ午前中には降りるようにしなければなりません。
これって
もう少しで山頂が見えてきましたが、す~と引いてみると。
これって、行っちゃダメなパターンですよね。頂上までは狭い雪庇を歩かなければなりませんが、3分の2以上がクレパスになって落ちかかってます。少し進んでみましたが、1m以上踏み抜いてしまいます。
少し掘ってみましたが、ずーっと雪庇の下は、空洞になっており、踏み抜くとクレパスまで滑り落ちます。
踏み抜きながら渡ってきましたが、振り返るとよく滑り落ちなかったものだと。南側の斜面を下って、登り返して頂上を目指すという手もありますが、そこまでする必要はないでしょう。
も一度、頂上を振り返ります。ここをクリアすれば行けそうですが、一度気持ちが後退してしまってますので、本日はここまでとします。GPSは836mの高度を示してました。この危険地帯をゆっくり戻ります。
安全な場所で、クロス記念写真
いつものでお昼です。山飯は魅力的ですが、できるだけ山では火を使いません。火は浄化作用があります。自分にとって山は神聖な場所。いつも山に入るときは、「自分はこの山に受け入れられているのだろか」、そんなことを考えて登ってますが、そんなめんどくさい事を考えて登る人なんかいませんよね。山に拒絶されているときは、なんらかの障害が待ち受けてます。その時は、進むべきか、素直に引き返すべきか慎重になってきます。
お決まりの、雪の妖精ポイので遊んでみたり。
鳥たちの、餌場になって、木の皮が剝がされたりして。
きれいな木と山頂付近からの景色と、雪山は尽きない魅力さがあります。
全く建物がありません、かつて、大夕張に住んでいた人たちは、自分たちの街がなくなるなんで思いもよらなかったでしょう。
パノラマ
カップラーメン
降りてきたところで、「わくよさん」でカップラーメン。
帰路へ向かいます。
GPS
この山は、いろいろなルートで登られているようです。YAMAPやヤマレコで集めたデータを載せておきますのでご参考に。谷を登ってるルートがありますが、登りには使わない方がいいと思います。雪崩の通り道になります。
ひな祭り
770mコルまでは楽しい緩やかな登りですが、それを過ぎると、地形が変わります。低山ですが、雪崩の跡も何か所か見られましたので油断はできません。寒暖の大きい年は山頂付近はお勧めできないと思います。
当日は雪崩注意報が出ており。北海道では上川岳と赤井川で雪崩が発生し、複数の人が巻き込まれ、一人死亡。赤井川では今年度二人目の死亡です。ご冥福を祈ります。